時代は変わっていくということ

小さな頃から随分と色々な事が変わったとお父さんは思う。

ファミコンがゲームボーイになり、今では友達を家に呼ばなくてもゲームが一緒にできるらしい。

スマホでできるゲームも色々あるようだ。

その辺りはお母さんの方が詳しい。お父さんのでスマホには将棋のゲームしか入っていない。笑

パソコンや、携帯電話なんてものはお父さんの小さい頃にはなかった。

小学校低学年の頃だったと思う。じいちゃん(お父さんのお父さん)がワープロ、ホットプレート、電子レンジをなんだか知らないけどいっぺんに買ってきて、お父さんは子供心に何事が起きたのかと思った記憶がある。

それから多分10年後くらい

高校卒業前の家庭学習期間にみんな友達は携帯を持ってて、持ってないお父さんは生徒手帳にみんなの電話番号をメモした苦い思い出がある。

それから更に20年、今では小学生でも持ってるのが珍しい事ではなくなって大人で持っていない人なんて居なくなったと思う

君達が大人になる頃にはどんな様子になっているだろうか。

おそらく携帯ではなく、身につけるカタチになっているだろう。持ち歩くなんてナンセンスだと思う。お母さんはいつも無くすので今では首から下げている。ある意味最先端だ。

10年一昔という言葉もあるけれど、時代か進むのが早すぎて君達が大人になる頃には二昔くらいの感覚になっているんじゃなかろうか。

そのうち別なところで書こうと思うけど、歴史を勉強したりするといい。大人になるほど歴史は面白いぞ。

色々なことがどんどん便利になって来てるけど、便利になるほど人が弱くなって行く気がする。ついでにみんな傲慢だ。

病気は治せて当たり前みたいな感覚になったり、お金貰わないのに仕事なんてできないなんて思ってる奴も居るみたいだけどそこはちょっと違うんじゃないかとお父さんは思っている。

人々の傲慢さが世の中をねじ曲げていたりする。お医者さんになったり、警察になったり先生になる人が少ないらしい。簡単に言うとめんどくさいからだ。割に合わない感覚なんだと思う。

確かに合理的に考えたらそうなのかもしれないけれど、そうゆう人が居て世の中は成り立っている事を忘れないように。

電気や水道もそうだ。出て当たり前と思っているのは傲慢になっているかもしれないと時々思ったほうがいい。

お父さんのおばあちゃんは朝から天気がいいといつも太陽さんにありがとな〜ありがとな〜と言っていた。

そうなれとは言わないし、お父さんも未だその領域には達していないけれどそうゆう考えもあるし、自分のひいばあちゃんは立派な人だったんだと覚えておいて欲しい。

10代後半から20代あたりは自分が時代の中心に居るような錯覚にとらわれるけど、それを過ぎるとしっかり置いていかれる。

時代を追いかけて行くことはできるけど、そもそもの育ちが違う奴らがどんどん育ってきて先端が交代して行く。今はデジタルネイティブなんて呼ばれてるけどそうゆう人達には根本が違うから敵わない。

鼻持ちならない気持ちになるけど、大昔の源氏物語とかにも最近の若いヤツはみたいな事が書かれているらしく、人間や時代ってそんなもんなんだとお父さんは理解している。

時代がどれだけ便利になっても人の気持ちは変えられない。妬むし、戦争も争いもなくならないと思う。面倒は嫌だし、自分が一番かわいい。自分が信じている世界が正義なんだと思っている。

大体そんなもんだ。

お父さんもきっと例外ではない。

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